2011年12月30日金曜日

今年も一年ありがとうございました

こんばんは

もうあと一日で今年が最後になります。

思えば大震災に遭い、親戚のほとんどは原発の半径10km範囲に住んでいたので
津波に家が流され、着の身着のまま避難しました。

その時の私はというと
父方のおばあちゃんと墓参りをしていて、私が境内のトイレから出ようとした時
ごぉぉぉぉー!と地鳴りがして、思いっきり横揺れでした。
出口の柱につかまり、揺れをしのいでいましたが
トイレの隣にあった鐘撞き堂が倒れそうになり、揺れてる中慌てて逃げ出しました。

おばあちゃんはというと、揺れの中、墓石を守っていたのですが
あまりの揺れで、空き地に逃げ込んでいました。

私は急いで携帯で、一緒に住んでいる母方のおばあちゃんに電話をしたのですが
つながりませんでした。

もう家ごとつぶれちゃったかな と思いました。

まず、父方のおばあちゃんを助け、車で帰ろうとすると
道路が車でいっぱいになっていました。
なかなか前に進まず、父方のおばあちゃんは歩いて家に帰ると言うことになり
申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、途中で降ろして
私はUターンして家に帰る道にのりました。

その「家に帰る道」というのは、海の方角なのです。

今思えば、みんな山の方角に車で避難していたんですね。

ふと気が付けば、信号機はすべて消えていました。
そしてひたすら走って、橋が架かってる道にさしかかり
タンクトレーラーが地震で段差が出来た橋をうまく登れないみたいで
そこでまたUターンして、来た道を引き返しました。

幸いにも私の車にはカーナビが搭載していたので
カーナビ頼りに山道を行くことにしました。

みんな考えることは一緒なのですね
山道がとても混雑していました。

それを見かねた、近くで工事をしていたのであろうおじちゃんが
十字路で車の誘導をしてくれていました。

今思うとすごいですよね!おじちゃん!

ひたすら山道を進み、町に出ました
瓦家は、例外なくみんな崩れていて、塀や壁も崩れており
なんとか走行できる道幅があったので、ひたすら走りました。

ガラスの破片や瓦や塀の破片が、そこらじゅうに散らばっており
走行中も、焦らずスピードを緩めながら走っていました。
後ろを走っていた軽自動車にあおられながら・・

電柱などは傾いたり折れそうになってたり
マンホールが飛び出していたりと、なんとか走行できる状態で
震災前だったら1時間半くらいで帰られる道が
この時は3時間以上かかりました。

家の近くの民家は、静まりかえっていて
ドキドキしながら自分ちを見たら、外見は何ともないようでした。

急いで「おばあさんーー!」と叫びながら家に入ると
「はーぁーい♡」とおばあちゃんがお出迎えw
台所で棚から落ちた物を整理してたようです。

茶箪笥や家具は、横揺れが激しかったせいか
とても重い冷蔵庫も20cm以上前に出ていました。

部屋中を見たのですが、みんな家具という家具は倒れ
中に入っていた物は飛び出し放題で、とても散らかっていました。

二階に上がってみると、大きな桐のタンスがあるのですが
あれが二段重ねになっていて、上が倒れていて
私が落書き用に置いておいたテーブルに支えられていて
もし、このテーブルが無かったら二階の床が抜けてたんでは?
と感じるくらい激しく傾いていました。

このタンスは1人ではどうにも出来なかったので
まず、出来る限り片付けました。

そしてふと思ったことは、日用品や食料を買いに行かなくては!と思い
時計を見たら、もう21時を回っていたので
とりあえず、もう寝て早起きして買い出ししようと思いました。

ちなみに水はと言うと、たまたまお風呂掃除をして
綺麗な水がいっぱいたまっていたので、それを使いました。

そして、幸いにもお米は、最近親戚から30kgもらっていたので
あとは飲み物と保存食、トイレットペーパーを優先に買おうと思いました。

ちなみに我が家のトイレは、くみ取り式(ぼっとん便所)だったので
水が止まってても用は足せます。
良かった!くみ取り式で!!

あと電気もすぐに通電してくれて助かりました。

スーパーとホームセンターや薬屋など駐車場を囲むようにしてある
いつも利用しているスーパーに着きました。
もう人だかりが出来ていて、まず食料中心に今日は買おうと思い並びました。

ここで私が思ったことは
「日本人って大混乱の中でも列にちゃんと並ぶんだなあ」
と感じました。

これは後日落ち着きを取り戻しつつあるときにテレビで見たのですが
インタビューに中国の軍人が応じていて
四川省大震災の時は秩序を取り戻すために発砲して
ようやく人々が列に並ぶ 日本人の秩序ある行動は中国では考えられない
と言っていました。

話は戻りますが、スーパーのパートのおばちゃんも頑張っていました。
店の中は天井が落ちてしまっていて人が1人入れるくらい
で、勇敢にも店の中に入って、売れる商品をかき集め
当然値段は商品には貼られていないので、カンで値段を決め
店の狭い入り口に長机を置き、その上に商品が入っているカゴを置き
順番に回りながら手に付いた物をカゴに入れて買っていた感じでした。

そして隣接するホームセンターへ向かい
抱えられるだけトイレットペーパーとボックスティッシュを買いあさり
なんとか今日の予定を完了させました。

ちなみに、コンビニはすべて閉まっていました。

宣伝でやってますよね
「私たちは震災時、徒歩で帰宅する方々を応援します!」
そう唱っていたコンビニというコンビニは全て閉まっていました。

その次の日も買い出しを行いました。

幸いにも水道は三日目で水が出るようになりました。

その頃私が思ったことは
このような状態はしばらく続くだろうと感じていました。

でも、2ヶ月くらい経った後、コンビニもちらほら開き初めましたが
買い物制限がかかっていて、1人5点まで という張り紙が貼ってありました。
さすがに頑張っていたスーパーも買い物制限をして
なんとか来てくれた人たちみんなに物が行き渡るように努力していました。

そして初めて届いた支援物資は、なんと棺桶200個でした。
皮肉にも津波にのみ込まれた遺体が200体強収容した頃でした。

棺桶の中は空洞なので、そこに食料などを入れてくれれば
もっと助かったのになあと思っていました。

初めての配給は、震災後1ヶ月半になろうかとしてた頃でした。
「一家族、米500g 水2L二本」
少ないですよね。

配給は全部で3回あり、全てこのくらいの量でした。

でも、配給の中で助かったのが、緊急用の毛布でした。
外見は安く見えるのですが、保温性が抜群で助かりました。

私はドコモとソフトバンクの携帯電話を持っていて
ドコモは普通の携帯で、ソフトバンクはiPhoneでした。
外部とも連絡が取れず、もちろん携帯電話も電波が立たず
いち早くメール連絡が取れるようになったのは、意外にもiPhoneでした。

震災半月くらいで、メールが普通に出来るようになりました。
しかし、PCの方のネット環境は反応なしでした。

震災1ヶ月経って、ルーターをふと見たら
光回線OKのランプが付いているのにも関わらずインターネットのランプは消灯していて
NTTに速攻電話して、やっとインターネットも復旧しました。
その後、色々と情報を見ようかと思ったのですが
親戚への安否確認や、どこの避難所にいるのか そして今の状態はどうかなと
その頃も携帯の通話はすぐ切れてしまうので、メールでのやりとりで行っていました。

人生でこんなにメールでの連絡をしたのは、生まれて初めてです。

街が落ち着きを取り戻しつつある頃、時間が出来たので
あの日帰ってきた道を車で走ってみることにしました。
しばらく走ると、道が海の砂でいっぱいでした。
その道とは国道ですよ!海から20km以上離れていると思います。
でっかい漁船も数十も田んぼに打ち上げられていました。

この道は、あの時通った道でした。

あと何分か遅かったら、私も車ごと津波に飲み込まれていたと思うと
ぞっとしました。

でも今考えると、震災が起こったときの私たちが居た場所。
もし、その時海にでも居たら大変なことになっていました。
しかし、うちの親戚のほとんどの家は波に呑まれてしまい
こんなに離れている家でも? というくらい海から遠い家も呑まれたそうです。

そして悔しいのが原発ですね。

原発の事故がなければ、もっと早く復旧したと思います。

ちなみに今私が住んでいる家から原発の距離は
半径30km範囲には入ると思います。

だって道を走ると、でっかい電光掲示板があり
「ここより24Km先、立ち入り禁止」
と光っているので。

でも深刻な被災を受けた街は、物取りが多かったみたいです。
家電量販店の商品やコンビニのATMを狙った犯罪が多かったみたいです。
だからやけに全国から来たパトカーが多いんだなーと思いました。
遠いところでは、福岡県警と書かれてあるパトカーも走っていました。

物流は自衛隊が一手に引き受けましたが
ある日、自衛隊の拠点に通販が届くかどうか注文した自衛官がいたそうです。
そしたら、注文して次の日に届いたそうですw
さすがに自衛隊の人々はおどろいたそうですww

物流の復旧は民間の方が早いんですね。

支援物資が滞っていて体育館いっぱいになってる所や
支援物資が届かない所、特に原発事故で福島県の太平洋側の街が
物資が無くて大変でした。
かくいう私も福島県の太平洋側に住んでいます。
なので、随分経ってから普通に買い物が出来るようになりました。

やはり、山が多いところなので、道という道はガタガタになり
なんとか走れるように突貫工事が終わったのが、1ヶ月半くらいかかりました。

もう今まで「あっ!」という間に過ぎました。

あと「そろそろ寒いよ!江戸吉原温泉SSコンテスト」ですが
でっかいイベント地も温泉街にしちゃおうとスタッフみんなで話し合ったので
温泉置いてくださる方、大募集いたします!
azuma Yumako にIMと同時にノートカードもお送りください。
IMだけですと、受け取れない場合が多発しております。すいません。
フォト応募期間も迫っているのに、準備不足で申し訳ありません。

そして、最後になりましたが、
震災で亡くなった方々にご冥福をお祈りしつつ
ブログ「公開」のボタンを押させていただきます。

「来年は少しでも「幸せ」を感じる日が一日でも多くありますように・・・」

4 件のコメント:

けん さんのコメント...

震災では多くの方が大変な思いでおられるでしょうから新年を迎えるにあたり複雑な気持ちです。
インワールドでは温泉SS頑張って応募します。いつも楽しく過ごさせてもらいありがとうです。来年もよろしくね。(^_^)b

azuma Yumako さんのコメント...

こちらこそありがとうございました^^
温泉SS期待してます^^w
これからもよろしくです^-^

かおり さんのコメント...

そっかぁ。。こんな風だったんですね@@
そーいえば、去年の湯けむり発表の頃だったね;;

いっぱい書いてくれてアリガトウ、感動しました><

まだまだ大変だと思うけど頑張ってね;;

ママは紅白の猪苗代湖ズ見たかなぁ。。
がんばれ福島!エイエイオー(>д<)〇!

azuma Yumako さんのコメント...

かおりちゃんありがとー(#^.^#)
またこれから、がんばるぞぉw
こんな私にずうーーっと着いて来てくれてありがとね(#^.^#)
また会える日を楽しみにしてますー(*^_^*)